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代表 宮崎良一のプロフィール

第一章 誕生(0才~18才)】

私は、石川県能登の小さな漁師町で三兄弟の長男坊として生まれました。
山あり海あり。
山でマツタケ採りに連れて行ってもらったり、海でサザエやアワビを採ったり。
自然に囲まれたこの漁師町で約18年間を過ごしました。

実家はイカ釣り業を営む個人事業主です。
祖父の代から父の代まで一貫してイカを追いかけてきました。
常に生命の危険と隣り合わせでした。

実家の船がイカを釣ることにより私は成長することができました。
今までイカによって育てられたと言っても過言ではありません。
本当に自然の恵みに心から感謝しています。

小学校を卒業するまでの私は、悪かったというかバカだったというか、
今でも目を覆いたくなるようなガキでした。

実家で牛乳を飲むために保育園を脱走した保育園脱走事件(4才位の時)、
担任の先生への反抗心から行った授業ボイコット(10才位の時)など、
数々の悪事を行っていました。

中学生の時は、県でもトップクラスの悪い学校に進学し、
ただただその校風に流されていました。

高校生の時は、勉強もスポーツも中途半端でした。
一所懸命に何かを行うという行動はほとんどありませんでした。
一所懸命にできたことはゲームの「信長の野望シリーズ」や「三国志シリーズ」そして漫画ぐらいかな?

ただいかなる時も人が私を助けてくれ、導いてくれました。

小学生の時は、柔道部と相撲部に所属し、泣きながら練習をしました。小木町のおっちゃん達がガリガリだった私を鍛錬してくれました。
中学生の時は、陸上部に所属していました。やる気のない私を市の大会で優勝するまでに指導してくれた先生がいました。
高校生の時は、私の手本となってくれるような素晴らしい友人との出会いがありました。

そして誰よりも私の味方となってくれた、家族、親戚がいました。

幼い時から、仕事に対する姿勢を教えてくれた父親がいました。
幼い時から、商売の厳しさやコミュニケーションの大切さを教えてくれた二人の祖父がいました。
幼い時から、いつもやさしかった二人の祖母がいました。
幼い時から、喧嘩や遊びをしながらともに育った二人の弟がいました。
10代からずっと家の船に乗り続けてくれた二人の叔父がいました。
その他の親戚の方々も私を温かく見守ってくれました。

最高4億円の借金を作りながらも家族と船員一丸となって返済したこともありました。

そして
小学生の時、授業についていけなくなった私に勉強を教えてくれたのは母親でした。
中学生の時、悪いことばかりしている私を心配し、常に注意してきたのは母親でした。
高校生の時、税理士という仕事があると勧めてくれたのが母親でした。

そして現在の私の職業は税理士です。

この18年間は、人と自然の恵みに育てられました。私の大切な“土台”です。

【第二章 修行(19才~33才)】

関西へのあこがれもあり、大阪の大学に進学しました。
そしてこの時期大きな挫折を味合うことになりました。

言葉の壁です。

私は能登で育ちましたので、能登弁しか話せませんでした。
それが劣等感となり、積極的に人と話すことができなくなってしまったのです。

この時も、人が私を助けてくれました。

当時バイトしていた、ホテルの上司そして仲間たちです。

ホテルでバイトした当初、私は失敗ばかりしていました。

ある時は、淡路島のホテルでえびの頭を女性の脚の上に落してしまいました。
ある時は、鳥羽のホテルで女性の肩にビールを一本かけてしまいました。
ある時は、大阪のホテルである上司に「殺すぞ」と言われました。

積極的に話すというコミュニケーション能力に欠けていた私は、
最悪な精神状態でした。

その時も多くの人が助けてくれました。

いつもやさしく声をかけてくれる同僚がいました。
全く仕事ができなかった私にホワイトボードで熱心に説明してくれた上司がいました。
「やろうと思えばできるぞ」と今でも忘れられない声かけをしてくれた上司もいました。

次第に私の中で一つ一つの要素がつながり、仕事ができるようになっていきました。
仕事がどんどん楽しくなり、多くの友人ができました。

結局この時も人が私を救ってくれました。
このホテルでの学びも私の大切な“土台”となっています。

大学を卒業し、大学院を修了した私は、尼崎の税理士事務所で修業させていただくことになりました。

この時、私を助けてくれたのは二つの“土台”でした。
必死になって働きました。土日も働きました。
家に帰ってもほとんど毎日勉強しました。

そして多くの学びを得ることができました。
特に大きな学びは、自分で成長したのではなく
『お客さんに育ててもらった』という学びでした。

この学びも私の大切な“土台”です。

勉強と現場仕事の繰り返し作業が私を大きく育ててくれました。
ハードな仕事環境を与えてくれたK先生には心から感謝しています。

ここでも結局、人に成長させてもらいました。

尼崎の税理士事務所で三年五カ月間勤務した後、
次のチャレンジを行うことにしました。

大阪でもトップクラスに厳しい事務所と言われる
K先生の事務所に入所させていただくことができました。

この事務所でも大きな学びを得ることができました。
K先生、K部長そしてFさんには税理士業の原理原則を教えていただきました。
今でも大切にしている学びです。

しかし、
自分で成長したのではなく『お客さんに育ててもらった』
という学びが最も大切な学びであることは不変でした。

三年三カ月間勤務した後、新たな挑戦を行うことを決意しました。

独立です。

【第三章 変容(33才~現在)】

33才の時に私は独立しました。
お客さんの数は妻の友人の申告業務1件だけでした。

(妻がいきなり登場しましたが、じつは尼崎のK事務所での同僚でした。
そして大阪のK事務所時代に結婚しました。今では私の大切なビジネスパートナーです。)

毎日が不安との戦いでした。
妻が勤務して家計を支えてくれていたので、料理以外の家事全般を私が行いました。
あまりにも暇で昼ドラにはまってしまった時期もありました。確か「ぬかるみの女」。
現実逃避をし、一日中ゲームをしていた日もありました。

全くお客さんの増やし方が分かりませんでした。
しかも妻の妊娠が発覚し、うれしい大ピンチとなりました。

ここでも人が私を助けてくれました。

お客さん。
子供の面倒をいつもいやな顔せずみてくれる妻の両親。
私の関西の親父であるM税理士。
コンサルティング会社のMさん。
本(歴史小説、経営書など)。
そして多くの仲間たち。

少しずつ契約していただけるお客さんが増え始めました。
そして今では十分ごはんを食べていけるだけの規模に成長しました。

結局は人でした。

私の今までの人生を振り返ると、
どう振り返ったとしても、
人と自然の恵みに生かされ育てられてきたとしか言いようがありません。

人と自然の恵みに感謝感謝です。

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